チャウチャウを連れた貞子

犬の散歩をしていると、色々なことに遭遇することがあります。ネタが尽きないとも言えますが(笑)、昨日(2015年5月1日)の散歩でも、つい驚いてしまったことがあります。

 

別記事でも触れていますが、一昨年の暮れに引越をし、現在実家に戻っています。さいたま市桜区にあり、新開という地名の一角になります。荒川の土手にも含まれているようで、地盤が低い地域でもあり、わたしが小学生の時には、台風で水が上がり、一週間ほど孤立したことがあります。おそらく近所に来たことがあれば、ここから都心まで本当に一時間程度で行けるのか?、と思うかもしれません。

 

けれども、そうであるからこそ、犬の散歩コースには困らないでしょう。しかも、夜になれば、ひと気もなくなり、閑静な雰囲気となります。わたしのような者には、安心しながら、犬を連れ出すことができます。もっとも、このままここに住んでいたいかと言えば、また北浦和で暮らしたいというのが、正直な思いです。(笑)

 

ともあれ、上記のような地域で、なおかつ、ひと気のない時間帯を選び、うちの柴と散歩しています。概ね同じようなコースを行き、昨日もそうでした。

 

家を出て、東へ向かうと、数分で鴨川用水路にたどり着きます。用水路と言っても、実際は排水路であり、言ってしまえば、整備されたドブ川です。しかし、川沿いに歩道があり、桜も植えられています。西浦和霊園の側道でもある、と言えば、お分かりになる方もいらっしゃるかもしれません。その歩道を中浦和駅方面へ向かい、歩道橋を上り、中途で新大宮バイパスへ下ります。そうして、北へ向かい、少しして西へ戻り、住宅街を通り、鴨川用水路沿いとは違う桜堤通りに出るというのが、大まかなコースです。

 



 

新大宮バイパスから住宅街を抜けるまでは、いつものように、うちの柴が、クンクンクンクン勇んで歩いていました。住宅街を抜けると、新開通りが南北に走り、そこを北へ向かうと、右側にセブンイレブンがあります。さらに少し進むと、セイムスも見えて来ます。いつもであれば、セイムスの手前の道で、左へ曲がり、先で述べた桜堤通りへ向かいます。しかし、昨日は、少し遠回りをしたくなり、セイムスの少し先まで行き、左へ折れました。桜堤通りを目にすることが出き、目検では、大体100メートル程度でしょう。その間には、住宅街もあり、右側には小学校も見えます。そんな中をうちの柴は、相も変わらず、クンクンクンクンしながら、前を進んで行きました。

 

しかし、わたしは、思いを巡らしていました。おそらく犬の散歩を始めたばかりであれば、犬の動向に夢中で、何も考えられないかもしれません。けれども、次第に慣れて来ると、犬を目にしながら、別のことを考えることもできます。中には、夕食の献立などを思いつく人もいるかもしれません。わたしのようなオヤジには、そういうものではなく、どの馬が良いかと悩み、散歩で閃いて的中したことが何度か、いえ、何度もあります。(笑) 京都に哲学の道というものがありますが、歩くということは、人の思考などと大いに波長が合うのかもしれません。大哲学者として知られるドイツのカントも、散歩が日課だったようで、「考える葦は、考える足でもある」などとも思っています。(笑)

 

いずれにせよ、うちの柴を目にしながらも、頭の中では別なことに思いを巡らし、それに夢中になっていました。おそらくそうだからでしょう。桜堤通りまで半分程のところに来た時です。うちの柴の向こうに、リードにつながれた犬が見えました。夜になると、街灯は点いていますが、非常に明るいと言う訳ではありません。かといって、暗がりということもなく、周囲を確認できる状況です。思いを巡らしていたとはいえ、視線をうちの柴に向けていたので、下の方を見ていたのは間違いありません。そのため、リードにつながれた犬の種類まで、はっきりとはわかりませんませんでしたが、その時には、チャウチャウと思いました。

 

それだけであれば、あまり気にすることもありませんでした。うちの柴は、犬お得意のように、チャウチャウに興味を示しました。しかし、わたしが驚いたのは、リードの先でした。チャウチャウから視線を上に向けて行くと、女性がいました。直立不動で、こちらを見つめ、少し乱れた長髪で、やや上目遣いでした。やせ気味で、ゆったりした縞模様のワンピースを着ていたように思います。しかも、少し笑っているように感じました。わたしは、本当に驚いてしまい、目を円くしました。一瞬心臓がドキッとし、そのまま止まるのでは、とも感じました。そうして、つい、こんなことを思ってしまいました。

 

チャウチャウを連れた貞子。

 

うちの柴を引きずるように、足早でその場を通り過ぎました。おそらく近所の人が、愛犬を散歩に連れ出し、わたしとうちの柴が去って行くのを待っていたのでしょう。これは、マナーでもあり、いたずらに犬同士がじゃれ合わないようにすることです。わたしも何度かしたことがありますが、軽く頭を下げてくれる人もいます。わたしもできる時にはそうしますが、昨夜の時には、できる余裕もありませんでした。けれども、通り過ぎた後、次第に可笑しくなってきました。そうして、思いを巡らさなければ、周囲に目を配り、あんなに驚かなかったな、と思いました。いくらなんでも、貞子は失礼だよな、とも思いました。

 

巡らせた思いとは、携帯電話の機種変更に関することです。散歩の数時間前、ネットから手続きをしました。今までガラケーを使っていましたが、必要性からスマートフォンを持つことにし、iPhoneに決めました。どんなことに利用するか散歩をしながら、あれこれ想像してしまいました。わたしも、良い年をしていますが、内心、新しい機械を手にするので、子供のようにはしゃいでいたのでしょう。しようもないオヤジであることに、変わりはありません。散歩と人の思考の波長が合うと言っても、もう少し違うことに使えれば、わたしの人生も大きく変わっていたかもしれません。(笑)

 

ひと気がなかったので、貞子の姿が見えなくなってから、わたしは声を出して笑っていました。しかし、うちの柴は、相変わらずマイペースで、周囲をクンクンクンクンしながら、葉桜の下を歩いて行き、そうして、いきなり腰を落とし、マーキングをしました。ペットボトルの水を掛けながら、やっぱりそいつにはそいつに合ったバカ犬が巡って来るな、と思いました。

 

春の夜の一時、「チャウチャウを連れた貞子」と出会った、うちの柴との散歩でした。

 

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