バカ犬の独り言 第四話 茶トラ猫逃亡事件

ある日、散歩へ行くため、一階に下りると、おばあちゃんが言いました。

「サクラがいなくなった」

飼い主が、何時から?、と尋ねると、ついさっき、と応えました。
真っ青な顔色で、虚ろな目をし、いつものようなニコニコ顔のおばあちゃんではありませんでした。

 

サクラとは、うちに迷い込んできた猫のことです。茶トラ模様の日本猫で、散歩中にわたしが見つけ、飼い主が連れて来ました。ネズミ捕りの粘着物を体に付けながら、じっと動かないままでした。もし見つけていなかったら、今頃うちにはいないかもしれません。飼い主は、ホントのジバニャンになってたかもな、と口癖のように言います。

 

確かにその通りで、わたしには特に感謝してもらいたいものです。

 

ところが、サクラは、わたしを見ると、ちょっかいばかり出して来ます。飼い始めの頃は、赤ん坊のようだったので、お乳を目当てにわたしを追いかけてきました。正直、気持ち悪く感じ、できるだけ、逃げ回っていました。飼い主も見かねた時は、サクラを引き離してくれました。けれども、不思議ですよね。気持ち悪い感じがしていましたが、次第に自分の子供のようにも思えてきました。

 

わたしは手術をしていないので、子供を産むことができます。飼い主も、機会があればそうしたかったようですが、結局できずじまいで、11歳を過ぎてしまいました。子供は望めない、と思っていましたが、こういう巡り会わせがあるのかと、わたし自身驚きました。子供ができてから親になる、と言われているようですが、なんとなく、そんなことを実感しています。

 

 

しかし、わたしのような犬、あるいは、猫も、人とは親子関係が異なります。お乳をあげるのも、長くて数ヶ月程度です。人と比べたら成長も速いので、サクラはすでに乳離れをしました。今では、推定で生後9ヶ月です。人で言えば、中学生か高校生の頃でしょう。やんちゃな盛りであることに間違いはありません。

 

そんなサクラがいなくなったと聞き、年頃の子だから仕方ない、とも思いました。それでも、女の子でもあるので、この時期は、非常に心配です。わたしと違い、手術をする予定ですが、まだ実施していません。飼い主もおばあちゃんも、重々理解しているようですが、不幸なことが起こらないとも限りません。

 

わたしは、飼い主と共に、サクラを探すことになりました。

 



 

状況が状況なので、サクラはリードを付けられています。本来ならわたしの方がリードと縁が深いのでしょうが、犬とは違い、猫は気ままな動物です。単独の狩猟動物でもあり、フラフラするのが好きです。外も危険なら、内でも危ないものがあります。リードを付けた飼い方も、今では大事なのでしょう。基本的におばあちゃんと一階の居間、もしくは、縁側にいます。

 

いなくなった時は、縁側にいました。飼い主と共に見ましたが、リードもなくなっていました。縁の下に懐中電灯を当てたり、あるいは、駐車場が接しているので、車の下なども見ました。サクラがいるような気配がありませんでした。おばあちゃんも出てきました。どこ行ったんだろうどこ行ったんだろう、とつぶやいていました。

 

飼い主は、業を煮やしたように、少し語気を強めながら、甘いんだよ!!、と言いました。以前にも、おばあちゃんは、犬や猫を飼いましたが、特に犬については、最期まで飼えないことが何度かありました。散歩中に離してしまったり、リードを外して遊ばせていたら車に乗っていた人に連れて行かれたり、そんなことを飼い主は思い出していたようです。

 

家の周辺では見つかりそうにもなかったので、わたしと飼い主は、サクラを探しながら散歩に行くことにしました。いつものコースには、住宅街や工場もあります。勝手に入ることができないので、遠くから目を凝らしてみました。サクラを拾い上げた場所にも行きました。生活排水路に沿った散歩道で、桜が立ち並び、名前の由来がそこから来ています。

 

あたりをちらちらしながら、飼い主がわたしに言いました。

「いたら、また教えてくれな」

心なしか、いつもより鼻をクンクン鳴らしたかもしれません。けれども、散歩道には、サクラの気配がありませんでした。そうして、いつもより短い時間で散歩を終わらせました。

 

ヒロ-サクラ

 

家に近づくと、おばあちゃんの姿が見えました。縁側と駐車場の間には柵はなく、砂利が施されているだけです。もともと庭として借りていたところで、住民であるため、車がなくても立ち入ることができます。おばあちゃんは、所在なげでした。飼い主も応えを察していたようですが、おばあちゃんに尋ねました。もちろんノーでした。

 

一体、サクラは、どこへ行ってしまったのでしょう?

 

おばあちゃんが目を離したのは、ほんの短い時間です。話から察すると、長くても数分程度でしょう。その間に、リードを付けたまま、完全に姿を消してしまいました。運動神経の良い猫ならではですが、それでも、なにかしらの形跡があるはずです。しかも、サクラは女の子でもあるので、活動範囲が広いとはいえません。たとえリードを付けられていても、ご飯をきちんと与えられ、安心できる寝床もあります。彼女にとって、大きなメリットがあることは、言うまでもありません。

 

それなのに、どうしていなくなったんだろうと思っていると、わたしはピンと来ました。おそらく近くに潜んだまま、じっとしているのかもしれません。機を一にするかのように、飼い主がその場で座り込み、もう一度縁側の下を覗き込みました。わたしも同じようにしました。すると、見慣れたリードの姿が目に入りました。そうして、キラリと黄色く光った二つの瞳が、わたしと飼い主の前に現れました。

 

「いた、いたいたいた!!」

 

おばあちゃんは、反対の方を向いていましたが、飼い主の声で振り向きました。サクラの姿を目にすると、ああよかったよかった、と安堵の声を上げました。飼い主がサクラを抱き上げ、人騒がせなバカ猫め、と言いました。おばあちゃんも抱いてあげました。わたしは、そんな光景を見ながら、正直、ほっとしたことは確かです。

 

「逃亡事件」が無事解決し、みんなが満足しました。よくよく考えれば、実に猫らしい振る舞いで、重々納得できることでした。おそらくサクラは、自由になった後、すぐに縁の下に潜ったのでしょう。そうして、わたしたちが探している間、暗がりの中でじっと観察していたんだと思います。

 

猫は犬より警戒心が強いと思います。たとえ家族同様な人でも、自分なりに確めなければ、ひょいひょいやって来ることはありません。猫を飼ったことがあれば、長い間一緒に暮らしていても、エサで呼び寄せることが、一般的かもしれません。捕食動物であり、単独行動の生き物です。わたしのような群れを好む動物とは、異なった面があります。飼い主も、あるいは、おばあちゃんも、今回の件で猫がどういう生き物であるのか、以前よりも理解が深まったかもしれません。

 

けれども、日常に戻ることは、うれしい反面、気が重いこともあります。通常、サクラはおばあちゃんと共に、一階で生活していることは、すでにお話しましたが、おばあちゃが出掛ける時は、二階に連れてきます。六畳一間に、わたしとサクラと飼い主の三人が顔を合わせながら、おばあちゃんの帰りを待つことになります。

 

飼い主は、たまのことなので、非常に楽しんでいるようです。サクラも、それなりの態度をしています。しかし、わたしに対しては、全く違います。乳離れをしたのはいいですが、今度は遊び仲間のように接してきます。もしやわたしの地位を狙っているのでは、と思ってしまいますが、群れの動物ではないので、それはないと思います。けれども、わたしは犬です。意味もなく、じゃれて来たりすると、たとえ相手が猫であっても、疑いたくなります。

 

 

ここまで書いたところで、階段からおばあちゃんの声が聞こえて来ました。ヒロちゃんと遊んでるんだよ、ちゃんとお留守番してるんだよ、と言っています。おばあちゃんが二階に来るのはうれしいですが、やはり、素直には喜べません。どうせわたしの顔を見れば、じゃれついてきて、しかも、わたしの寝床を奪おうとします。

 

唐紙が動きました。相変わらず、目付きの悪い、茶トラ猫です。少し憂鬱になりそうですが、これも仕方がない、とあきらめています。犬って、やっぱり、損な役回りの生き物でしょうか?

 

わたしは、ヒロと呼ばれるメス犬です。日本育ちの柴犬です。

 

同居