10歳を目前に

当サイトの中でも、すでに触れていることですが、今の柴と暮らし始めてから、10年の月日が経とうとしています。生後半年からになるので、本年(2014年)10月で、満10歳となります。バカだ、クソだ、犬畜生だ、と思ってきましたが(^o^)、人であれば、50過ぎであり、飼い主よりも、年上になります。こんなことを思えば、犬と人との関係も、実に奇妙なものです。年下に使われたくない、と思う人もいると思いますが、犬は、そうであっても、自分の主人と思えば、一生従うようになります。犬の最も特徴的な性質でもあり、日本では、犬が必ずしも、悪い譬えばかりで使われていないことは、さもありなん、と言えるでしょう。

 

わたしの好きな故池田晶子は、そういう犬の性質を「けなげ」と表現し、大の犬好きであったと記憶しています。皆さんの中にも、似たような理由で、犬好きな人がいるかもしれません。しかし、犬の「けなげ」な性質は、方向が変わってしまえば、非常に困ったことになります。当サイトの「柴犬の飼い方」に、主従関係を築くという記事をアップしていますが、一旦、主人ではないと見なすと、粗相を繰り返すようになります。無駄吠えや飛び付きなども、主従関係の崩壊が原因であるとも言われています。また、犬自身が主人であると認識してしまえば、悲惨なことになるかもしれません。従う者がなく、裸の王様に近いような状態になるでしょう。こうならないためにも、飼い主であるリーダーが、しっかりしていることが大切なようです。

 

おそらく犬はそれだけ群れを好み、群れの中にいることに、安心感を持つのでしょう。しかも、常にリーダーを気にする習性があり、群れに入るや否や、リーダーを探すとも言われています。自分の経験の中でも、確かにそれを感じます。わたしが何かをしようとすれば、何らかの反応を起し、お前じゃない、と言っても、ポカンとした表情をしながら、何かを待っています。時折、困った顔をすることがあり、柴犬は、これがはっきりしているように思います。掛かり付けの獣医にそのことを話したら、大いに賛同してくれました。こうであるからこそ、わたしは、うちの柴をバカ犬とも呼んでいます。(^o^)

 

ともあれ、「けなげ」な性質こそ、犬が犬である証であり、喜びも悲しみも、そこに尽きるのかもしれません。そうであるからこそ、一度飼い始めたら、最期まで面倒を見るのが、主人であり、リーダーであり、親でもある飼い主の務めと責任でもあるでしょう。以上のようなことを鑑みると、わたしがいなくなったら、一体、うちの柴はどうなるのか?、と思ってしまいます。無常な世の中では、突然、命を失ってしまうとも限りません。飼い主であるわたしがいなくなれば、戸惑ってしまうのでは、と思います。

 

けれども、これは、わたしの勝手な想いでしょう。うちの柴は、生後半年までペットショップにいたため、あまり人を怖がりません。犬が嫌いな人でも、ヒョイヒョイ尻尾を振りながら、近寄っていきます。わたしと暮らし始めた当初は、散歩に行く度、人を見ればついて行こうとしました。何度か実力行使したことがありましたが、今では、人の姿を見ても、視線を向けるだけで、寄って行こうとはしません。バカはバカなりに、一応、飼い主が誰なのかは、理解しているようです。(^o^) そうは言っても、10歳近くなると、老後を考えるようになります。わたしは、これまで何度か犬が側にいる生活をしてきましたが、10歳まで飼ったことがなく、老犬の世話をしたことがありません。

 

しかし、近所に老犬を飼っていた家があり、白内障に罹患した姿を見たことがあります。それでも、犬は犬なのでしょう。クンクンしながら、わたしの側まで来て、顔を上げた時の両目が、白みがかっていたことを覚えています。しかも、その犬が秋田犬であったため、同じ日本犬として、うちの柴に重ね合わせてしまうこともあります。目を合わせると、時折、瞳は大丈夫だな、と思っています。もっとも、すべての犬が白内障になるとは限らないでしょうが、まだ若い頃と同様な目の輝きがあるので、しばらくは大丈夫だろうとも思っています。

 

けれども、生き物は生き物なのでしょう。飼い始めの頃に比べれば、年取ったなあ、という顔をしています。多少なりとも、落ち着きが出て来ているのは、悪いことではないですが、やはり、人と同じで、年には勝てないのかもしれません。お分かりの方も多いかもしれませんが、犬にも痴呆症があります。罹患したら仕方ないと思いますが、世話の覚悟もしているつもりです。一般的には、7あるいは8歳以降を高齢犬と呼んでいるようですが、7歳頃に行きつけの獣医に聞いた事があります。症状としては、人と似ているようで、うろうろしたり、意味もなく吠えたりするようです。記憶の中では、お漏らしについても、話していたと思います。現在、インターネットなどでも、犬用の紙オムツが販売されていますが、対処の方法も、人と同じようです。

 



 

また、一般的な老化現象についても、人と似ているようです。当サイトでも、大いに参考にしている、柴犬の飼い方・しつけ方の中でも、老化現象として、小さなトピックス欄が掲載されています。耳が遠くなる、動作が遅くなる、口臭がきつくなる等が挙げられています。年を取って口臭がきつくなると言われると、加齢臭をイメージしますが、おそらく犬の加齢臭とも言えるのでしょう。さらに、寝てばかりいることも記載されていますが、散歩もあまり好まなくなるようです。これもまた、人の老化現象に似ているように感じます。以上で取り上げた中で、うちの柴に該当することは、幸いまだありません。先でも触れているように、多少なりとも顔が老けた程度で、まだまだ元気です。元々丈夫であるのか、あるいは、バカだからなかなか死なないのか分かりませんが(^o^)、少なくとも、あと数年は、明らかな老化現象が出てこないように感じています。そうは言っても、衰えというものは、静かに訪れるよりも、急に出て来ることもあるようです。

 

それにしても、繰り返すようですが、月日は速いと思います。10年一昔、という言葉がありますが、正直、うちの柴との間には、あまりそういうことが感じられません。むしろ、感じられないからこそ、振り返って見た時に、ああ10年か、という感覚が出て来るのかもしれません。今でも、最初に目にした時のことをありありと覚えています。ケージの中に入れられ、わたしが近寄った時、外に出られないため、キンキン声を上げていました。

 

また、引き取る時、ペットショップと当時の住まいが近かったため、自転車で訪れましたが、前籠の中にちょこんと座りながら、周囲を見渡している姿も忘れられません。さらに、家に着いた後、前籠から持ち上げ、家の中に離すと、クンクンしながらも、嬉しそうに走り回っていました。わたしには、狭いケージから出られ、「自由」になったことを喜んでいるように感じられました。そんなことから、しつこいようですが、すでに10年近くの月日が経とうとしています。正直、うちの柴は、わたしなりの激動期に、一緒に暮らし始めたと思います。

 

離婚直後、転職、失業、二度の引越し。

 

いずれの時も、わたしの側にいました。元々孤独ということには無頓着な方で、寂しいから飼ったという訳ではありません。けれども、派遣社員だった時、帰宅後に玄関の前などで待っていたりすると、バカでもできるんだ、とホッとしていたことも確かです。うちの柴でも「けなげ」な性質を引き継ぎ、わたしのような者にでも、飼い主として従ってくれることは、やはり、犬だからでしょう。そういうことを考えれば、単独の墓ではなく、一緒に入れる墓にするのが、礼儀であり、義理でもあるのかな、と思っています。今では、ペットと入れる墓も多くなったようで、いずれ検討してみるか、と思っています。しかし、結構なお金が掛かるので、できるだけ、経済的なゆとりを持ちたいと思っていますが、なかなかできないのが、わたしというどうしようもないオヤジなのでしょう。

 

ともあれ、うちの柴は、まだまだ元気であり、一日のうちの大いなる楽しみが、散歩と食事になっているようです。柴犬は、長生きの傾向があるらしく、掛かり付けの獣医から20歳の柴犬を診察したことがある、と聞きました。仮にうちの柴が、20歳まで生きたとすれば、まだ半分しか生きたことにはなりません。本当にわたしの方が、先にポックリ逝かないとも限りません。そんなことを思ったり、あるいは、うちの柴の姿を見ていると、「なかなかくたばらないな」と感じます。けれども、こんなバカでも、わたしのような者と暮らしているということは、何らかの縁があるのでしょう。

 

「バカはバカらしく」

 

どこかのCMであったようなセリフですが、こんなことも思いながら、現在、うちの柴と暮らしています。

 

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